春畑セロリのワガママ部屋

100mの廊下を10cmずつ掃除するとしても

3月はコンクールの審査があったり、コンサートに関わったりと、久しぶりの生音を満喫しましたね。審査員や主催者の方々と久しぶりに生の音楽談義ができたのも貴重だったけど、参加者のみなさんの演奏にも触発されるところがいろいろありました。

  

まず、初めてお伺いした国際ピアノデュオコンクール。何組もの若いペアが、したたかなデュオ曲に立ち向かっていて、その演奏技術や読譜の確かさだけでなく、難解なフレーズに命を吹き込む力にも驚かされました。私たち作曲家が書いているのは、やはりただのデジタル・マップであり、演奏者がいてこそ、そこに命が吹き込まれるのですよね。

そしてクリスタルPianoコンクール。子どもから大人まで、級別にポップス系課題曲に取り組むコンクール。去年は動画審査だけだったけれど、今年は実音審査があり、100名近いみなさんの演奏を聴くことができました。

しかし、なんとほぼ半数が「鬼滅の刃」から選曲。級が違えばアレンジも違い、3曲あるのでテイストも様々なのですが、やはりソロピアノではなかなか魅力が出せないナンバーなので、さすがに出場者の演奏曲リストを見たときは、正直、「おーい、今日こんなに鬼滅ばっかり聴くのか~??」という印象だったのは否めません。

ところが、聴いてビックリです。小学校低学年の級でも、メチャクチャ魂がこもっていて、思い入れタップリな演奏が次々と! リズムがいいとか、音のバランスがいいとか言う次元ではなく、もう精神性の域に入っている感じです。

普通、アニメ曲などを子どもが弾く場合は、「アニメが好きだからテーマ曲も好き。弾いてみた~い!」程度のモチベーションで、ルンルン気分で弾いていることが多い。トトロが好きだから「さんぽ」弾く、ルパンIIIが好きだから「ルパンのテーマ」を弾く。そしてそのときは、物語よりも、もはや曲として楽しんでいる。元気な曲として「さんぽ」を楽しんでいる、かっこいい曲として「ルパンのテーマ」を楽しんでいるわけです。

しかしっ!!! 今回、鬼滅ナンバーを弾いた子たちは、曲というよりは、ストーリーにのめり込んでいる。登場人物の心情をなんとか表出しようとしている。作品のテーマの有り様、主人公の生き様そのものをピアノで表現しようとしているかのようなのです。(ま、中には流行の人気作にあやかりたかった可愛いお調子者もいたかもしれませんし、技術の高さは指導の先生の薫陶の賜とは思いますけど)

とにかくこれはね、私の中で特記事項でした。かなり大げさに言えば、これを機にピアノ指導は、ポップスもクラシックも、その意義を見直してみるべきだと思ったんですよね。評論とか書籍じゃないので、言葉足らずを承知で書きますが、何て言うかなぁ……、表現したいことを具体的につかんでいる強さ、能動的な意思を持って演奏を構築していく確かさ。のめり込む先を見据える意欲がもたらす納得度の高さ。これは捨てがたい。

あ、いえいえ、鬼滅ナンバーを弾きましょう!と推奨しているわけではありません。コンクールの上位には、さらに磨かれた演奏で臨んだ鬼滅以外の生徒さんがたくさん入りましたから。そしてもちろん、人気曲ほど教育効果が高いと言っているわけでもありません。ピアノソロらしい佳いナンバーは、渋いところにこそたくさんありますしね。

ですが、今回の鬼滅選曲人気と子どもたちの演奏結果には見逃せない暗示があると思うのです。これは、先のデュオコンクールで果敢にジョリヴェ作品を弾いて優勝した音大生たちを思い起こさせます。難解な曲でも易々と踏み入って仕上げていく強靱な演奏モチベーション。この重要なファクターに思いを馳せず、ただ弾きたがるからとか、流行の先端だからとか、あるいは古くからの定番だからとか、仕上げやすい曲だからといったような理由で選曲し、そつなくキレイに正確に仕上げるだけの指導や執筆では片手落ちなのではないか。あのような能動的な表現意思を持つという体験へ導いてあげることこそ、音楽の、いや、音楽教育の、ひとつの存在価値なのではないか。

……とかなんとか、思ったわけですが、じゃ、どうするっっていう具体的なことをお話しするまで、今は考えが熟成できていません。ちょうど先頃からひそかに企画し始めたいくつかのプロジェクトの中に、なんとかこの感触の片鱗を活かせないかと、ぼんやり思っているところです。

ずーっと掃除をしていなくて目をつぶってきた住まいをね、自粛期間1年も過ぎて、世間より圧倒的に遅ればせながら、ちょっとずつ片付け始めています。たとえば100メートルくらいある長~い廊下を、ときどき10センチくらいずつ拭き掃除する……みたいな、ズサンで遅々とした歩みですけど!

それでも、ズサンがときどきながらも重なって、ちょっとずつ進んでくると、だんだん先が見えてくるものです。雑多な物が散らかって、無いに等しかった床が少しずつ広がってきた! その場でちょっとステップ踏んでみちゃうくらいになってきた! すると、寝るだけに帰っていた部屋も、だんだん居心地よくなってくるものです。

こんなカタツムリみたいな歩みでも、進んでさえいれば、いつかは100メートル走破できるかもしれないですよね。

音楽のこと、音楽教育のことも、端緒をつかんでちょっとずつたぐり寄せていけば、何か見えてくるかもしれません。何かお役に立てるかもしれません。