なでしこ2さん、こんにちは。白菜です。
お便りありがとうございます。ちょっと放浪に出ていたもので、音楽高校の入試に間に合ったかどうか不安ですが、ま、僕なりにお答えしてみましょう。
えーとですね、文字で説明するのは結構ややこしいんですけどね、まず、なでしこ2さんのお便りには、いくつかの問題が混在しちゃってます。
1)「楽典の調判定問題」と「実際の音楽で調を感じる能力」
2)「旋律に和音をつけて弾く能力」
3)「移動ド」と「固定ド」
4)「絶対音感」と「相対音感」
大変失礼ながら、これらをひとつの問題として混ぜこぜにしてしまっているので、悩んでおられるんじゃないかと思うんですよねぇ。
なでしこ2さん自身が、音楽を聴いただけで調が判定できるのは、第一に「絶対音感」を持っているから。そして「理論上、調が確定する要件」を、今までの音楽の勉強の積み重ねの中で、経験上、把握しているからなんです。
あなたはご自分のことを、「理論武装で解いているのではなく、感覚でわかるのだ」とおっしゃってますけど、本当に感覚だけで解いているのかな。
ずっと西洋音楽を勉強していれば、多かれ少なかれ、和音構造や和音進行のセオリーは身についているはずだと思うんですよ。自然とね……!
たとえば、G7の和音を聴いて「ソシレファ」だ、と認識できるのは絶対音感のたまものですけど、その次に、G7からCの進行を聴いて「ハ長調」だと判定できるのは、決して天の啓示や持ち前のセンスで「ハ長調」と閃くわけではなく、そこにハ長調のドミナント・モーション(ドミナントからトニックへの進行)があると感じることができているからに他なりません。そこには経験上培われた理論の裏付けがあるんです。もしフレーズにG#音が入ってきてイ短調を感じたとすれば、導音が主音を導く感触、すなわち導音の機能というものを、音と理論の両方で知っているからなんです。
生徒さんには、ぜひとも演奏だけでなく、こうした和音の機能感や進行感を話し合ったり共有したりするようなレッスンをしていただきたい。そういう意味では、なでしこ2さんは、すでにそんなレッスンしていらっしゃいますよね。その姿勢はとても素晴らしいと思います。
でもね、「受験の楽典」は理詰めで教えてよいのじゃないかなー。
実は、和声進行のフィーリングって、なかなか口では教えられない。だから、書物や授業では、理詰めにならざるを得ないのです。それを踏まえながら、実際の音の感覚と両輪で教えるのが理想。そして、それができるのは、現場の先生の特権であり、重大に使命だと思いますよ。
でも、今まさに、受験の山を越さなければならないとすれば、理詰めで覚える覚悟だって必要でしょう。西洋音楽には必ず理論がついてまわるのだし。
あ、それでですね、調の判定ができるようになる前に、旋律に即興で伴奏付けをしてもらうってのは、少し酷というものですよ。できなくて当然! スキーを履かせて、すぐに直滑降しろっていうくらい酷ですよ。できちゃう人には、このツラさがわからないかもしれないけど。
もし伴奏付けをやるとしたら、まず、ごく単純な旋律を用意して、何回も歌いながらトニックの箇所を探す、次にドミナント・モーションの箇所を探す。そして徐々に調を把握する。いざ伴奏付けに挑むのは、その後です。
それから、固定ド、移動ド問題ですけど、移動ドが意味を持つのは、唱歌のように転調のない歌や、曲の中のごく短い部分を把握するときぐらいです。すごく長くて緻密な和声構造のクラシック曲を移動ドで捉えて歌うのは無理ですよね。第一、調が把握できてなければ、移動ドで楽譜は読めないしねー。移動ドが役に立つのは、歌声喫茶や旅行なんかで、楽譜ナシで歌を覚えてもらうような場面ぐらい? あー、それは極論ですけどね。
最後に、絶対音感の問題ですが、僕(白菜)は絶対音感を持ってないですよ。でも、音楽活動にいっさい支障はありません。ちゃんと音楽に向き合えるような、適切な「相対音感」を持っているからです。耳で聴いた曲の調がすぐにわからなくても、そこに連なっている和音の機能はわかる。そして基準音さえ与えられれば調だってちゃんと判定できる。絶対音感って便利な能力だけど、音楽家の必須条件ではないです。そしてそれは、調判定の能力や和声感覚とはまた別次元の問題です。絶対音感にこだわって、音楽というものの本質を見誤らないようにしてほしい、と、いつも僕は思っています。
うーん、納得のいくお答えになったかなぁ。心配です。またいつでもお便りくださいね。 |