春畑セロリのワガママ部屋

幾千幾億の手のひら

ず~っと、ず~っと昔、ローマの都をひとり旅。日没の遺跡で、缶ビールで自分の誕生日を祝ったりして、少なからずセンチメンタルになっちゃった私は、実のところ歴史の重みに耐えかねていたのでした。何百年という昔、幾千幾億の人々の手が、美しくまた価値ある工芸品や芸術や建築をここに築いたのだと思うと、その幾千幾億の手に、背中を押されている気がしてならないのでした。果たしてそれは、励ましなのか怒りなのか愛なのか戒めなのかわからない。ただただ、そんな不思議な力が肩や背中を押しているように思われてならないのでした。

はてさて、現代に生きる軟弱な私たちは、かつての人間たちが持っていたはずの、こんな不思議な力の、片鱗でも持っているだろうか。知識は膨大に増えたが、その実、頭が悪くなった、できることは莫大に増えたが、いつのまにやら生きる力をなくしてしまった現代人たち。素通しの目玉とがらんどうの頭ばかりデカくなって、手足が萎えてしまった人間たち……。

奇しくも、このたった2日ばかりの間に、「人間は、動物としても知的生命体としても退化の一途をたどっている」という意味の文章を、新聞や雑誌で4つか5つ立て続けに読みました。それぞれまったく違う発言者の違う表現で書かれていましたが、私は、あのローマの日没を思い出して、なんとなく背筋がむずがゆくなったのでありました。
これで、心も退化しちゃったら、もうおしまいだよね。