春畑セロリのワガママ部屋

フェアトレード

今、フェアトレードという言葉にちょっと関心を持ってます。先進国が発展途上国の人々を搾取するような貿易(超低賃金で大量生産を行い、超特価で売りまくり~の、儲けまくり~の、という図式)ではなく、現地の生産者の人たちが正当な賃金を得て、自立して生活していけるように応援するための貿易活動です。援助と言っても、恵まれない環境にある人たちに一方的にお金をあげるのではなく、起業したり生産を行ったりするためのノウハウを伝え、貿易のための機会と手段と市場を提供しようというわけです。

そういった旗印を掲げて、現地に密着した活動を行っているフェアトレード団体が日本にも増えてきました。私たち市民は、アジアやアフリカのさまざまな国の人たちが手作りした衣料や食品を買うことで、支援の一端を担うことができます。

世の中には、たくさんの国際協力NGOがあって、一般市民は、そういう志の高い活動をしている人たちを、すごいなぁ、応援したいなぁと思っても、自分の生活を捨ててまで現地に飛び込むというわけにもいかず、好きなだけお金をばらまけるほどの経済力もなく、結局、手をこまねいたまま、昨日と同じように飯食って、テレビ見て、風呂入って寝ちゃうわけですけど、フェアトレードなら、自分の気にいったものを買って、ショッピングの楽しみを享受しながら国際協力ができるのですから、お気軽お手軽、気が楽、ふところも楽で、可愛いエスニック・グッズや珍しいスパイスなどが手に入り、お得納得の気分です。

実は、こういう優れた活動のように見えるフェアトレードにも、問題点や壁や溝はいろいろあるのだそうで、一概にただただ立派と感心ばかりしてはいられないのかもしれませんが、でも、支援団体側も、人生投げ打ってボランティアをしているわけではなく、きちんと営利を上げて、事業として成り立っているケースが多いのは、注目すべきじゃないかと思いますよね。

なんかボランティアって言葉、優等生的で滅私奉公的で小市民的で、抵抗感じたりしませんか? 私みたいに、勝手気ままに生きてる派のハグレ者には、世のため人のために汗水流していいことするって、なんとなく気恥ずかしいっていう意識がある。ちょっとくらいイイ子のフリしたって、世の中変わらな~い!という、やる以前からのあきらめもあるかもしれません。とにかく日本には、肩の張らない自然なボランティア精神が、まだまだ根付いていないという気がします。そんな中で、地に足のついた活動で、国際協力や地域復興や環境整備事業を成功させている団体や企業を見ると、知恵と行動力次第で、自分を活かして相手も活かし成果を得るノウハウってあるもんなんだなぁと感心させられちゃうんですよね~。

もうひとつ感心するのは、そういう現場で若い人たちがバリバリ活躍していること。ちゃんとものを考えていること。「今の若いモンは」なんて言ってる大人たちこそが、本来のボランティア精神も理解せず、腰が重くて、ノウハウも持たない、諸悪の根源なんじゃないかっていう気がしてきます。

世間の口車に乗って自己責任だとか政府はあてにならんとか叫ぶ前に、わが身を振り返ってみるってのも、たまにはいいかもしれませんね。まぁ、とかいいつつもね、やっぱり今日の晩ご飯のメニューのほうが気になってる私なんですけどね。