春畑セロリのワガママ部屋

震災後の日々、その2

バヌアツの夜にゆうすけが野外フェスで歌ってくれた「AGAIN」が混声合唱曲になり、その録音が届いた。20年も前に、消えゆく美しい森や水辺に想いをはせて書いた曲。それが、今なお美しい森や水辺を大切に守りながら暮らしているバヌアツの地で音になったことを喜んだのに。。。
日本で失われていく自然(自然そのものが惜しいというよりも、環境とともに自然体で緩やかに暮らしていく人々のナチュラルな心が失われていくことが惜しいのだ)を、今も大切にして生きていてくれたのは、東北の人々ではなかったか。。。その人々を大地が襲い、海が襲い、人智の結晶(であるべき)の文明そのものが襲いかかる。壊滅すべきは都会ではなかったか。。。海外の人々が苦難の中で毅然としている日本人を褒めたたえるのは、それが東北の人々だからではないのか。都会の人間にそんな生き様ができるのか。

テレビに映し出される惨状に胸のつぶれる想いをしているだけでは、無事な人も元気な人も、みんなへこたれてしまう。日本中の人々が注目した東北から、ぎゅーっとズームインして、自分の内側をこそ、ちゃんとのぞいてみる強さを持たなくては。
そして、次には、ぎゅぎゅぎゅーっとズームアウトして、この過酷な被災地と同じかあるいはそれ以上にむごくひどい日々を余儀なくされている遠い国々にも想いを馳せる胆力を持たなくては。

生きる、ということは。